2003/02 <共歓>のオープンガーデンへ
<共歓>のオープンガーデンへ
私はこれまで5年間オープンガーデンを続けながら、ずっと「オープンガーデン」の意義付けについて悩んできました。
何故個人の庭を公開するのか、その問いに対する答えの説明に悩んできました。。
ある時、TVの取材で来た 案内役のタレントが何気なく発した「お庭の公開?どうして公開するの?」の質問に私はすぐに答えることが出来ませんでした。一般の人にとって最も素朴な疑 問でしょう。これに答えられなくて、どうしてオープンガーデンの活動を推進していけましょうか。
3年前、東京農大の相田さんの肝いりで初めて全国のオープンガーデングループが東京に集まった時にも、私は「オープンの意義をはっきりさせないと、公開庭にいつまでも公開を続けてもらうことが出来なくなるのではないか。」と悩みを語りました。
イギリスのオープンガーデンは、NGSイエローブックの表紙に「Open for Charity」と明記されているように、<チャリテイの目的のためにオープンする>ことがはっきりしています。チャリテイのお金を集めることが庭を公開する理由なのです。
しかしわが国のオープン ガーデンは、明確な理念も目的意識もないまま、一般の人に公開するからオープンガーデン、としてスタートしたような気がします。イギリスでやっていること に憧れ、オープンガーデンの言葉に憧れ、花好きの人たちに見てもらうことが楽しい、それだけで始めたような気がします。初期のオープンガーデンではどこの グループもそんな感じでした。
一部で<チャリテイ>の言葉も使われ、現在もチャリテイを実行しているグループもありますが、それがオープンガーデン全体の目的・理念となるほど定着はしませんでした。
昨今増えている行政主導によるオープンガーデンでは、明記するしないは別として観光目的であることがはっきりしています。それはそれで意義のあることでしょう。
しかしその影響で我々のオープンガーデンすら観光目的と思われようになってきています。そうではないと言うためには、我々の公開の意義を明確にしなければなりません。
伊豆オープンガーデンは発足当初からお庭公開の目的として次の三つを挙げてきました。
1.お庭拝見を通じて交流の輪を広げる
2.せっかく咲かせた花を多くの人に見てもらう
3.地域の活性化に貢献する
しかし私は、「これではもたない」と思いはじめていました。
といいますのは「交流の輪を広げる」ことを第一の目的としながら、実際には各庭とももう充分に交流の輪は拡がってしまって、これ以上輪を拡げてもお付合い出来ないほどになっているのです。つまり目的は充足してしまったのです。
公 開にはそれなりに物心ともに大きなエネルギーを必要とします。特に我々は通年公開をしているだけに負担は大きいのです。このままで参加庭に公開のモチベー ションを持続させられるだろうか。いつか一般公開の熱意を失い、仲良しサークルでいいや、になってしまうのではないか。これが私の悩みでした。
何か理念となるものはないか。動機付けになる目的はないか。士気を鼓舞するキーワードはないか。そして一般の人に何故公開するのかを簡潔に説明出来る言葉はないか。ずっと探していました。
そして<共歓>という言葉に出会ったのでした。
この言葉を白幡洋三郎氏(国際日本文化研究センター教授)の論文「日本庭園史と庭園文化」(ガーデンデザイン入門-日本花普及センター刊)で知りました。
白幡氏は日本の長い庭園史 を庭の利用という観点からみて、庭に入り込んで庭を使いこなした時代と、庭を遠ざけてこれを眺めた時代の二つの時代思潮があったといいます。そして前者の 姿勢を「遊興」、後者の姿勢を「観照」と呼びます。これが交互に現れます。そして現代は「観照」が支配的な時代であるといいます。
前者の代表が江戸時代に1000もあったという「大名庭園」でしょう。大名庭園は現在のホテルやアトリウムのような社交場の機能を果たしていたようです。後者の代表が宗教施設でもあった「枯山水庭園」です。
<日本の庭園の歴史、過去 の造園の展開を振り返ってみると、現代造園に欠けているのは、ともに楽しむ「共歓」とでも名付けるべき感覚だろう。自分一人でなく他人とともに楽しめては じめて庭園たりうる。自分が育てた花を見てもらうガーデニングが流行るのは「共歓」が求められているからだ。「共歓」を現代の庭園に吹き込むためにいま必 要なのは、各時代の各階層が楽しんだ社交の機能へ思いをいたすことではないかと思うのである。>(同論文)
「観照」の時代から「遊興」の時代への転換の勧めです。
私自身が庭を公開していて 一番喜びを覚えるのは、庭の工事をしたり植物を植えたりする時に感じる充実感です。暑さ寒さの中、草にかぶれ蚊に刺されながら時間とお金を費って励むのは この充実感のためです。公開していればこそ、そして人が見て楽しんでくれればこそ、この充実感があります。もし公開をやめたらこの楽しみや充実感は喪失す るでしょう。人に訪ねてもらい人に見てもらって共に楽しみ、ともに歓びを分かつ。これがオープンガーデンです。
<共歓>。これこそオープンガーデンのキーワードではないでしょうか。
この言葉でなら、オープンガーデンの紐帯を繋げていけそうです。
この言葉でなら、世間の人に公開の意味を説明出来そうです。
日本のオープンガーデンの共通の理念を<共歓>とすることを提唱したいと思います。
伊豆ガーデニングクラブ代表 森下一義 2003・2記